こまのオンゲキ日記

オンゲキの話ばかりになると思いますが、音ゲー関することをだらだら書いていこうと思います

音ゲー上達と才能と努力

それぞれがもっている才能というのは、分かりやすく数値で表すと0〜5まである。

そしてそれと同じように努力という数値も0〜5まである。

そして、才能が5ある人間が5の努力をすることで5×5=25で最高点を出すことができる。


これは僕の言葉じゃなくて、ある方が話されている「成功の方程式」という話の内容を借りて話しているだけなんですけど、これは全ての物事に通ずるとっても面白いお話なので、今回はそれを音ゲーとからめてべらべら喋っていきたいなと思います🙋‍♀️










世の中結局最後は才能です。

例えば、上の方程式を借りると才能が3の人間が5の努力をしたとしたら3×5=で15点ですよね。

でもこれでは5の努力をした才能4〜5の人間にはどう足掻いても勝てないんですよ。


本来の「成功の方程式」の話は


「世の中、結局最後は才能で決まってしまう。それならば、自分に不利なフィールドで戦い続けるのではなく、それよりも自分が有利に戦えるフィールドを見つけて、そこで戦う選択をとった方がいい。だから、何事にも真剣に向き合って自分の才能が活きるフィールドを見つけてそこで戦った方がいいですよ」


みたいな話なんですけど、音ゲーは趣味として楽しんでる人がほとんどでしょうから、5の才能を持っている持っていないの話は関係ないと思うし、そもそもそれで辞める、みたいなことにはならないでしょう。




............でも、やっぱりいくら趣味とはいえ、上手くなれるものなら上手くなりたいじゃないですか。


少なくとも、こんなタイトルの記事を開いて読んでくれてる方は、少なからず向上心のある音ゲーマーだと勝手に思っています。










音ゲー上手くなりたい!』って向上心を持って日々遊んでいる音ゲーマーなら1度は、プレイ中やその他の時間に『俺(私)って才能無いのかも......』とネガティブな状態に陥ってしまったことがあるのではないでしょうか。
あるいは現在進行形でこの記事を読んでる人もいるかもしれません。


音ゲーマーが『俺(私)って才能無いのかも......』状態に陥ってしまうときっていうのは、


自分を同じ実力帯のプレイヤーと比べたときにいろんなところで差が見えてきた、


あるいは、つい最近まで同じ歩幅で歩いていたはずなのにいつの間にか姿が見えなくなってしまった、


他にも、自分が苦労して乗り越えてきたハードル達をひょいひょいっと何の苦労も無いかのように凄まじいペースで下から追い上げてくるプレイヤーの存在、


みたいなパターンが大体の原因なんじゃないかなと思います。


でもそうですよね。
自分に出来ないこと(出せないスコア)が出来るって、なんかそれだけで相手が自分より数段上の実力のように感じてしまいます。
やっぱりそうなると『俺(私)って才能無いのかも......』ってめちゃくちゃヘコむの、僕もそれは体中から血が出るくらい分かります。


でも、上達にライバルの存在はいた方がいいと思います。ライバルの存在はモチベーションをくれるし、ほんとにいい刺激になりますしね。

『1人で音ゲーやってたとしたら間違いなくこんなにやり込んでないな』と思うプレイヤーは多いのではないでしょうか。
一緒に同じゲームをプレイする人間の存在ってやっぱり大きいです。


でもだからこそ、ライバルだと思っていた人間に置いていかれたときのダメージっていうのはデカいです。ライバルとは上手に付き合いましょう......。











でもそこで自分には才能がないから、とへりくだって努力を怠ったり辞めてしまうと、ますます状況も悪くなるし、それは本当に自分に才能が無いことになってしまうことだと思うんです。


まあそんなことは頭のどこかでは分かっているはずなんですけどね。でもそこで現実を直視するのはめちゃくちゃしんどいんですよ。まじで体中から血が出るくらい分かります。


まあでも、持ってる持ってないにせよ、やっぱり世の中結局最後は才能なんですけど()、でもその度に『才能才能』ってすぐ片付けて何かを諦めたり、上手くいかなかったのをそれのせいにするのはどうなんでしょう。


それだと、その分野で活かせる才能を持っていたとしてもそれに気づけずに自分で勝手に潰して自滅していることになりますよね。


音ゲーに限らず、そんな生き方をしている自分を客観的に見たらね、かなりダサくないですか? なんだかんだ頑張るしかねぇ......。









まず、先の方程式で言う才能の数値を測るには、まず自分がそこで5の努力をする必要があります。というか、そもそも何かが上手くいかなかったときに才能という言葉を引き合いに出すことが出来るのは5の努力をしている(本気で頑張っている)人間だけじゃないでしょうか。


でも、その努力も努力で難しいのは、5の努力をしたとしてもその練習内容が間違っていたとすれば、それは5の努力をした気になっていただけで、実際には4〜3の努力、あるいはそれ以下の努力にしかならないってことです。



ですが、その努力も努力で困ったことに、音ゲーの上達には『こうしたら上手くなりますよ』っていう教科書がないんですよね。


だからこそ、間違った努力の方法で5の努力をしないよう、今現在明らかに自分より上にいるプレイヤーにアドバイスを求めて、それを実践するのが1番確実であり近道になるんじゃないでしょうか。

その中から自分がいいと思った手段をいいとこ取りしていって、自分なりの教科書を作るのがいいんじゃないかなと思います。











これも、先の方程式の話をされている方が話していたある例えなんですが、


野球をやってる子が2人いて、その2人は練習で素振りを毎日500回します。


でもそれが、毎日ひたすら500回素振りをするだけの子と、ピッチャーがどんな玉をどのコースに放ってくるか、それが変化球なのかストレートなのかをイメトレしつつ、スイングを考えてバット振るを500回する子では、前者はだだの筋トレになるよな、って話があるんですけど、これはほんとにいい例えだと思います。


これは音楽ゲームの上達にもよく言われる『PDCAサイクルを回せ』の話みたいなもので、間違った努力をしないという話にも繋がってくるのですが、
漫然とただ連奏するだけの人間と、1トラックずつしっかり考えながらプレイして、そこで生まれた反省を次のプレイに活かす人間とでは、そりゃあ経験値の積まれ方が違うから後者の方が上達するよね、って話です。


譜面研究もしなければなんの運指も組まず、ただ毎日プレイしてるだけでトップ層にいける人間がいるのだとしたら、それは間違いなく才能でしょうね。そんなもん5どころか50くらい才能ありそうです()


これは音ゲーに限らず、やっぱり上手い人間には何かしら上手い理由がありますよ。









やっぱりね、たとえその音ゲーの中での自分の立ち位置が何となくわかってしまったとしても、結局は頑張り続けるしかないんですよ。


途中で心が折れて努力をやめてしまったら、才能×努力=結果の答えが出てしまうと思うんですが、自分がそこで5の努力を出来ていなかったなぁと少しでも思うのであれば、まだ答えを出すには早いのではないでしょうか。

いつかその先でデカい結果をバーンと残せたなら、自分には才能があったということになりますからね。


頑張る前から『自分には才能ないから』って諦めるのは、これは音ゲーに限らずもったいないと思いますよ。



それでは👋